この「極端な例」の「Nでも」は、くだけた話しことばで「Nだって」と言うことができます。
あたしだってそのぐらいできるわよ。
うちの会社は日曜だって呼び出すんだぜ。
どんなところにだって行けるさ。
ここからだって2時間で着くよ。
Nまで:極端な例
格助詞の「まで」は時間と場所の範囲を示しますが、この「まで」は、極端な例を表します。他の人?ものに関してその述語の内容が起こり、いちばん起こりそうもないNにそのことが起こったことを表します。
私まで間違ってしまいました。
皿まで食べてしまった。
彼女にまでそんなことを言われました。
外国へまで行って探しました。
夜中にまで電話をかけてきます。
「で」と「から」とは使いにくいようです。
?ヘリコプターでまで探した。
?外国からまで見学客がきます。
もちろん「まで」も。
×屋上までまで上りました。(cf. どこまでも行こう。)
「も」「は」とともに使えます。「までも」は「まで」の強め、「までは」は否定とともに使われます。
あなたまでも(が)そんなことを考えているんですか。
子どもにまでは頼めなかった。
Nさえ
「Aさえ~」というとき、ほかのBやCは「当然~」という前提があります。
あの人さえ失敗しました。
子供にさえ分かることです。
これさえ分かれば、全部できます。
私でさえ、そう思いました。(私が~)
最後の「Nでさえ」という形は、「さえ」の特別な形です。主体の「Nが」がなぜか「Nでさえ」になります。
東京駅からでさえ、3時間かかります。
「Nからだ+さえ」と考えればいいのでしょうか。よくわかりません。
「さえも」はよく使われますが、「×さえは」とは言いません。
小さなことさえもよく覚えていた。
小さなことさえ忘れなかった。(×さえは)
Nこそ
「ほかのものでなく、これが」という気持を強調するために使います。多くの場合、前に話に出た何かよりもこちらのほうが、という言い方になります。
こちらこそ、失礼しました。
これこそ(が)問題です。
あなたこそ反省すべきです。
こういう苦しいとき(に)こそ、がんばらなければ。
今こそ立ち上がりましょう。
この賞は私などよりも彼女にこそ与えられるべきだ。
会社より病院へこそ行くべきだ。
日本語はそれほど難しくないです。
「Aほど~Bはない」の形で「Aはいちばん~」を表します。
あの人ほど親切な人はいない。(いちばん親切だ)
彼ほどの人はいない。(じょうずな人はたくさんいる。しかし、~)
引用の形では否定が主節の述語に現れることもあります。
これほど難しいとは思わなかった。(これほど難しくないと思った)
複文の従属節の中では、否定がなくても使われます。
あの人ほど頭がよくても、間違えることはあるんですね。
あれほどがんばったのだから、きっと優勝するだろう。
彼ほどの人でもまちがえる。
述語を受ける用法は複文として扱います。(→「53.程度?比較?限定」)
この問題は誰もできないほど難しいです。
「それほど」の「それ」が前の文を受ける場合は、否定の述語でなくても使えます。述語を受けて極端な程度を表す用法になっています。
この問題は誰もできません。それほど難しいのです。
このように前の文を受けるのは「連文」の文法です。
「数量+ほど」の場合は、「ぐらい」より硬い言い方で、丁寧で書き言葉です。否定とは特に関係ありません。
ロープを5mほどください。
参加者は百人ほどでした。
お金が千円ほど足りません。
Nなど:例示
「など」と言うと、「NやNなど」の形で多くの物の中から例を挙げ、まだほかにもあることを暗示する、という用法がすぐ思いつきます。
机の上には本やノートなどがあります。
人の場合は丁寧ではないので、使わないほうがいいでしょう。
田中や山田などが来た。
これは接辞(接尾辞)としての用法で、副助詞としては、その名詞を一つの例として軽く言う言い方によく使われます。そこからまた、それを低くみる言い方にもなります。
お茶などいかがですか。(←お茶はいかがですか)
この辞書などが適当でしょう。
あいつの顔など見たくもない。
この仕事はあの人などにはできません。(あの人になど)
パチンコ屋へなど行ったこともありません。
こんな仕事などは朝飯前だ。
かなりくだけた話しことばでは「なんか」「なんて」も使われます。
お茶なんかどう?
あんなやつになんかやるな。
お金でなんか買えないものだよ。
あの人となんて絶対イヤ!
これなんていいんじゃない?
述語を受ける場合は複文のところで。(「→55.その他の連用節」)
Nでも:例示?極端な例
一つの用法は、いくつかの可能性の中から、一つを取り出して、軽い提案として例示するような場合に使います。
お茶でもいかがですか。
明日にでも聞いてみましょう。
彼女にでも頼んでみたら?
散歩にでも行きませんか。
じゃあ、新聞でも見て(時間をつぶして)います。
「例示」でなく、それ以外の可能性を考えていない場合は「和らげ」の効果が出ます。
それはねえ、その棚にでも置いといて。
この「Nでも」の用法は文末に特徴があります。「勧め」「命令」「意志」などの「ムード」が来ることが多いのです。相手への要求などの直接さを和らげるために「例示」という意味合いが使われるのでしょう。
すぐ前でとりあげた「など」も例示の意味がありますが、この点で大きく違います。
次に、もう一つの用法、「極端な例」の「Nでも」について考えましょう。
こんなことは、小学生でもわかります。
この「小学生」は、述語の「わかる」ということが成り立つ低い方の例です。
この問題は、専門の研究者でもわかりません。
この「研究者」は、「わかる」可能性がもっとも高い方の例として使われています。
これらの例からわかるように、「Nでも」は、述語の内容が成り立つ補語の中で極端な例を出して、その場合に述語で表されるような内容が成り立つことと、それ以上に「ふつうの例ではもちろん~」という意味を表します。
ですから、上の「小学生」の例が言いたいことは、「これは誰でもわかる、やさしいことだ」ということか、あるいは、「それなのにどうしてあなたはわからないのか」というような、状況から推論されうる意味であるかもしれません。どちらにしても、「小学生にわかる」ことが中心的な意味ではありません。
難しい仕事でもやります。(Nを)
このロボットは狭いところにでも入ります。
参加者はかなり遠くからでもやってきます。
あの人は台風の日でも休みません。
なお、「疑問語」についた場合の「いつでも?どこでも?だれでも」などは「不定語」として別に考えました。(→「16.疑問語?不定語」)条件の「~ても」で述語が「Nだ」の場合、「Nでも」の形になります。
教師が休みでも、学生は自分でよく勉強します。